淡路島の北端にある野島の崎。
現代には阪神淡路大震災の爪痕、野島断層が残る場所である。

柿本人麻呂が生きた600年後半から700年の時代の船旅を想像しよう。
当時の政権を握っていたのは持統天皇。
人麻呂に命じたのは九州は太宰府の国守への下見かと思われるが、実際の年代確定には至っていないのが現状であるようだ。

奈良の都(藤原京かと思われる)をあとにした人麻呂は大阪は難波津を出て海の難所『神の渡り』である明石海峡を渡る。
そこは潮流が早く、いつ潮の流れに巻き込まれるかもしれない死との恐怖と背中合わせの場所でもあった。
当時の船旅は今のような安全な船旅ではなく、手漕ぎの舟で進み行く旅。
無事に帰れる保証は何一つない船旅であった。
明石海峡を命がけで渡った人麻呂は対岸の淡路島は野島で舟を休める。
その野島の崎にただ一人立ち、大和に残してきた妻を思ったのである。

『淡路の野島の崎の浜風に 妹が結びし紐吹き返す』

風香訳:淡路の野島の崎に吹く冷たい浜風に 大和で別れを告げた妻が強く、深く結んでくれた腰紐がひるがえっている。妻はどんな思いでいるのだろうか。

古代、旅に出る前、夫婦は互いの着物の交換をするという祈りを込めた習俗があった。
そして最期に結ぶ腰紐は、互いが結び合うことで結び目に霊魂を込めるという祈祷に似た一種の儀式があったようだ。
腰紐に込められた夫婦の思い。
それは現代人が想像する以上の深い思いと、生涯の別れになるかもしれないという悲痛な叫びにも似た行為であったことだろう。

大和をあとにする人麻呂。
そして大和に残された妻。

現代に生きる私たちの想像をはるかに越える夫婦の強い『心の絆』が培われていたのであろう。

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