photo by とし坊

風早で詠まれた万葉集の句と出会ったのは、2年前。
以降ずっとずっと思い描いてきた万葉故地「風早」。
そして念願叶い、初めて訪れたのは今年の7月。
そして2回目が過日のライブの時。

ライブ前日に広島入りした私は、その日一人で万葉故地巡りをすることができた。

まずは素晴らしい万葉歌碑と障壁画のある祝詞山八幡神社へと向かう。2回目の訪問。
万葉歌碑は、風早で詠まれた歌、2首を地元の書家の先生が中学生でも読める揮毫をという思いも込めて、わかりやすい揮毫で書かれたものである。

風早の浦に船泊(ふなどま)りする夜に作る歌二首
「我がゆえに 妹嘆くらし風早の浦の沖辺に 霧たなびけり」

                         万十五 三六一五
「沖つ風 いたく吹きせば我妹子が 嘆きの霧に飽かましものを」 

                         万十五 三六一六

風早の万葉歌碑はこの二首であるが、万葉集遣新羅使人の歌は巻十五に一四五首収められている。
私がこの句と出会ったのも、実は元はこの新羅使人の別の句である万葉故地「玉の浦」(岡山県倉敷市)で歌われた歌を作ろうと調べた先に、更に紐解いて辿り着いたのが風早の歌であったのだ。

そして上記二首の前にはこの歌との関連を思わせる二首が一連の贈答歌十一首の中に歌われていた。

遣新羅使人(けんしらぎしじん)等、別れを悲しびて贈答し、また海路にして情(こころ)を慟(いた)みして思いを陳(の)べ、併せて所に当りて誦(うた)ふ古歌

「君が行く 海辺の宿に霧立たば 我(あ)が立ち嘆く 息と知りませ」

                         万十五 三五八〇
「秋去らば 相見むものを何しかも 霧に立つべく 嘆きしまさむ」

                         万十五 三五八一

尚、目録には更に詳しく、
天平八年丙子夏六月、使を新羅の国に遣(つか)はす時に、使人等、おのもおのも別れを悲しびて贈答し、また海路の上にして旅を慟(いた)みして思いを陳べて作る歌(以下略)

とある。
天平八年は736年。
その年の6月に遣新羅使が派遣されたことが明確になっている貴重な文献史料である。
とある文献によると6月1日に大阪難波津を出港したと仮定し、新羅使人の足取りを追っている。
それによると、10日後の6月10日に風早の浦に到着したことになる。

(参考)
 6月 1日 難波津出港(大阪)
 6月 2日 大輪田(兵庫)
 6月 3日 明石(兵庫)
 6月 4日 飾磨(兵庫)
 6月 5日 室津(兵庫)
 6月 6日 牛窓(岡山)
 6月 7日 玉の浦(岡山)
 6月 8日 神島(広島)
 6月 9日 長井の浦(広島)
 6月10日 風早の浦(広島)

そこで、もう一度この万葉歌碑に戻ると、歌碑の裏側をみると昭和四十七年六月十一日に建立されたとある。
いわゆる遣新羅使人がここ風早を旅立った日であるのだ。
ここに、私はこの歌碑建立を発案された祝詞山八幡神社の元宮司である故富永氏の思い、また地元民の方々の思いを深く感じずにはいられなかった。
初めての訪問の折にこれを見つけた時もそうだったが、そう感じただけで、もうそこは万葉の世界と現代が時空を超えて繋がる空間となるのであった。

更にその隣のそびえ立つのは障壁画である。
縦3.6メートル、横5.4メートルに及ぶ障壁画には、歌の内容が、そして風早の風土が見事に描き出されており、作者はやはり地元の有名な画家さんで日展にも入賞された方の作品であるらしい。
描き出された大和で待つ妻、そして新羅へと向かっていく夫の夫々の表情には物悲しささえ感じる。
そしてここ祝詞山八幡神社の境内から遥かに見下ろす風早の浦の景色には、心打たれしばし立ち尽くす私であった。

その景色をすっぽりと心の中に焼き付けた私は風早の浦が見渡せる絶好のビュースポットと言われる場所へと向かうことにした。
7月に訪れた場所とは今回はまた違った場所を探し出す楽しみも見つけた。
ちょうど風早駅の裏手あたりだろうか。
急な坂道を駆け上がり(実際はゆったりと歩き)、振り返ってみると見事な風早の浦が一望できる。
そこは平成の世にありながら、うっすらと沖にかかる霧が見られ、まさに1274年前の景色と同じであることを実感できる場所であった。

この後、風早駅へと向かい、JR呉線に初乗車し隣の安芸津駅へと向かい、海辺の宿である富楽さんへと帰途についた私であったのだが、なんとこの風早駅が素晴らしい。
風早の浦が一望できる場所にあるこの駅からの景観の素晴らしさ。
そしてその裏手には、年に1度の秋祭り「火とグルメの祭典 あきつフェスティバル」のメインイベントである「万の字焼き」が点される保野山がみえるのだ。
何でも正月等はLEDライトで点灯され、このフェスティバルの時だけ地元ボランティアの手による松明を上げ頂上付近迄のぼり、点火されるというのだ。
まさに万葉の心が、万葉の火となり、いにしえ人の心と現代に生きる人々の心が一つとなって夜空に描き出される瞬間でもあり、それを実際にあの日、目の当たりにした私が深い感動に包まれたことはいうまでもない。

万葉故地「風早」は、現代においても万葉集の風土といにしえ人の心が、現代の人々によって大切に受け継がれ、守られているすばらしい町であり、そこに生きる安芸津の人々に宿る1274年前の温かく深い心に触れることができたことが何より嬉しく、そこで歌われた万葉歌を聴いて下さった安芸津の皆様に改めて御礼申し上げます。そしてその機会を与えて下さった安芸津の実行委員会の皆様、そして安芸津のY氏に改めまして深く深く御礼申し上げます。

今回、風早のライブに足を運んで映像関係を一手に引き受けて下さった奈良県在住のTさんが、今ここに描いた風土をご自身が撮った写真と私が1回目2回目の訪問で撮った写真を構成してすばらしい「嘆きの霧」ムービーを作って下さいました。
風早には行った事がない方が少しでも万葉集の風土を感じて頂ける機会になれば幸いです。

そして、安芸津にお住まいの方がもし一人でもこれを見て頂ければ歌の作り手である私たちはもちろん、ムービーの作り手であるTさんにとりましてもこれ以上の幸せはありません。

 

嘆きの霧ムービー

 

とこおとめは食を通じて(株)八葉水産さんを応援しています。