今から約1300年前の言霊(ことだま)万葉集。4516首の原文を紐解くと、今も昔も変わらぬ日本人の心が詠われていることに気付かされます。そして自分自身の心の琴線に触れた句と出会った時に初めてメロディをのせて、そして時に今の言葉に直し、とこおとめの万葉歌として現代に甦らせています。

このホームページをご覧頂いている今のあなたが、歌詞を読んで、そしてとこおとめの万葉歌をお聞き下さり、万葉集を、そしていにしえ人の心を少しでも身近に感じて頂けるお手伝いができれば幸いです。

 

各曲のタイトルをクリック、または左のインデックスをクリックすると歌詞カードと一部の曲で動画、もしくは曲をダウンロードしてお聞きいただくことができます。

♪二上山の夕日

  

万葉集巻二 一六五 一六六 大伯皇女

 四一六     大津皇子

現代語作詞 作曲 風香

(2005)

 

万葉歌、第1作目の作品です。数十年前、高校時代に初めて飛鳥を旅しました。以降ブランクを経て10数年前にまた飛鳥熱が再燃。ちょうどこの曲を作った年の暑い夏に、大津皇子会いたさでこの歌に詠まれた二上山山頂まで登った事が思い出されます。そして異説はありますが、頂上で大津皇子と会う事ができたように思え、思わず手を合わせ、心の中で祈り捧げていたことが昨日のことのようです。姉である大伯皇女は古都飛鳥から亡き弟、大津皇子を偲び、どんな思いで二上山に沈む夕日を見て手を合わせていたことでしょうか。

♪♪ My Heart(私の心) 

万葉集巻一 十七 十八 額田王

現代語作詞・作曲 風香

(2006)

額田王の句で長歌1首と反歌1首にオリジナルの意訳をのせて歌っています。原文には、「額田王の近江国に下りし時に作れる歌」とあるところから時代は天智6年(667年)であると言われています。近江遷都の際の儀礼歌だと一般的に捉えられており、この時の額田王の立場は既に天智天皇へと嫁いでいました。時代の波に翻弄されながら兄弟に愛された額田王。天皇の弟である大海人皇子との間には彼女の生涯においてたった一人の愛娘である十市皇女をもうけています。そんな環境の中での遷都。彼女の胸の内にそっと触れてみると、儀礼歌でありながらも「雲よそんなに隠さないで、どうか心があるのなら」と自分自身に重ねてみていたのではないでしょうか。「大海人皇子と過ごした飛鳥に私の心はあるの。でも運命には逆らうことはできない。だからせめて雲だけでも、、、、。」そんな彼女の心の叫びを歌にしてみました。 

 

♪♪♪ 八重山吹実らない恋

                       万葉集巻二 一五六・一五七・一五八 高市皇子

                                              現代語作詞・作曲・編曲 風香

(2006)

 

万葉集の中でも孝徳朝持統朝(万葉集における時代区分では初期万葉〜第2期の世界)を得意としている私が、その時代に生きた人の中で一番に名前を挙げるなら、この歌の詠み人「高市皇子」をあげるかもしれません。それくらいに彼への想いを強く抱いています。それは歌からも汲み取れる十市皇女へ一途な想いが女性である私のあこがれに近い感情なのかもしれません。さて、この歌のタイトルである八重山吹は実は園芸種であり、万葉集に詠まれた山吹は一重の山吹です。それであるにも関わらず八重山吹としたのは、花が咲いても実がならないはかなさを二人の実らない恋と重ね合わせたタイトルとしました。更に身近に感じたい想いに駆られ、我が家には近年植えた、八重山吹と一重の山吹が毎年4月の終わり頃から5月にかけて咲いてくれます。いつか奈良の山深いところで山清水に寄り添う山吹に会いにいこうと花が咲く季節になると思い巡らせています。  

                          

♪♪♪♪ 空の心

 

薬師寺 般若心経の心より一部抜粋

現代語作詞・作曲・編曲 風香

(2007)

  

天武天皇と持統天皇の愛の結晶である薬師寺(奈良県奈良市西ノ京)。そこにある東西両塔の内、東塔は1300年前の姿のままを伝えています。また、金堂にある国宝、薬師三尊像の内日光菩薩、月光菩薩のその出で立ちの美しさはいつ訪れてもしばし時を忘れてただじっとその前に立ち尽くしてしまうほどです。さて、この歌は、その薬師寺で行われている写経勧進(写経をもって伽藍復興をしようという試み。先代の住職高田好胤氏の発案)に心打たれ、歌を作る前年に写経させて頂いたのがきっかけで作った歌です。写経手本の裏に書かれていた「般若心経のこころ」は、その名の通りわかりやすい言葉で般若心経が書かれていました。これこそまさに天武天皇と持統天皇が求めていた姿ではなかろうか。そう思った私は自宅近くのあぜ道に一人空を見て寝っ転がって、大きく広がる空の下で悩みもがいていた自分のちっぽけさを感じ、歌に今に生きる自分自身を重ねてみました。万葉集の句を用いてないので実際は万葉歌ではありませんが、ライブでの人気は高い楽曲であることが作曲活動を続ける私の励みにもなっています。  

 

 

♪♪♪♪♪ 冬ごもり春去り来れば

作曲       風香

ピアノアレンジ 吹黄刀自

(2007)

 

この曲は、とこおとめとして初めて万葉の歌音楽祭にエントリーできた作品であり、またとこおとめとして初のお披露目ステージでもありました。この楽曲は天智天皇の宴席で、春秋競いの歌をと言われた額田王が、宴席での人々の気持ちを押しては返す波のように引き付けては離しながらも、最後に「私の心は秋です」と見事に歌い上げた歌です。額田王は万葉集中12首残していますが、やはり彼女の秋に対しての思い入れは相当深いものだったと感じずにはいられません。この曲は額田王の長歌に、あえて現代語はつけず原文のままで歌い上げています。春を誉め、春を否定する、そして秋を誉め、更に秋を否定する。ではいったいどちらを選ぶのか。結句で見事に「秋山ぞ我は」と歌い上げる額田王は、もしかしたら秋に誰かを重ねていたのかもしれません。そう感じながら聞いて頂くと季節以外に見え隠れする当時の複雑な人間模様も浮かび上がってくるようです。  

 

♪♪♪♪♪ 弓絃葉(ゆずるは)

                                                          万葉集 巻一 一一一 弓削皇子 一一二 額田王

作曲 風香

ピアノアレンジ 祐香

(2008)

 

額田王と弓削皇子の歌です。タイトルにある弓絃葉は、公園等でよくみられる常緑高木で、新しい若葉が伸びると世代を譲って古い葉は落葉するという何とももの悲しい樹木です。一般的に額田王が晩年に歌った歌であると言われていることから、そんな弓絃葉のはかなさと自らの人生をも重ね合わせていたのかもしれません。さて、はじめこの曲には現代語意訳をのせて歌っていました。弓削皇子と額田王、双方共に中国から入ってきた漢詩の世界(蜀王の伝説)を勉強しており、お互いに鳴いている鳥はほととぎすだということを知っていて取り交わされた歌だと考えられていたからです。その意訳にはその漢詩の世界をのせて歌ってみましたが、歌う程に、二人がこの歌に託した世界はただ漢詩の世界を模倣したのでなく、やはり大和での互いの環境を歌った歌であったのではないだろうかという強い想いに変わっていき、原文そのものを味わう歌に仕上げました。そうしたことにより、時を告げるとも、そして昔を懐かしむ鳥ともいわれていたほととぎすに託した二人の想いを感じることができたように想っています。ちなみにほととぎすという鳥は自分自身では子育てせず、うぐいす等に托卵を行う鳥です。 

 

♪♪♪♪♪ 妹(いも)が結びし・・・

♪♪

 

 

万葉集 巻三 二五一 二五四 二五五 柿本人麻呂

現代語作詞・作曲 風香

ピアノアレンジ  祐香

(2008)

 

柿本人麻呂の句です。古代の習俗の一つにある紐結びに込められた夫婦の絆を歌った歌です。古代、結ぶという行為は、ただ紐を結ぶということでなく、その結び目に心を込める、魂を込めるという意味合いがあったようです。また万葉集の中での結びの意味を広義で捉えるのなら、歌うことによってその歌に込めた心が動き出すと考えられていました。そうした背景を念頭に置いてこの人麻呂の句を読むと、ただ妻が結んだ紐が風に靡いているなという単純な歌でなく、夫の無事を祈り、結び目に自分の心をも結んだ妻の強く深い想い、そしてそれを大海原の航海に旅立った人麻呂が、淡路の野島の崎でその妻の心を深く感じている歌であることが伝わってくることでしょう。

いつか淡路島の野島の崎に立ち、この歌を声を出して歌ってみたいと思っています

          

♪♪♪♪♪ くれなゐにほふ

♪♪♪

 

 現代語作詞作曲 風香

編曲       祐香

(2009)

万葉集の中でも後期(万葉の時代区分では第4期にあたる)の大伴家持の歌です。越中富山の国司として派遣されていた家持が、大和で待つ妻を思って歌ったものです。5年の任期で派遣された4年目の春。ある日妻は越中の家持を訪ねていきました。大和から越中までの旅は、もちろん徒歩であるがゆえに現代に生きる私たちの想像を遥かに超えた長旅だったに違いありません。そして迎えてくれた家持とみた景色は、まだつぼみの固い桃の花だったようです。そして妻が帰った1ヶ月後程経ったある日。家持の住む家の庭には満開の桃の花が咲き乱れました。桃の花灯りに照らされた樹の下には今は大和で夫の帰りを待ちわびる妻の姿がみえたように思えたのではないでしょうか。来年は大和へ帰れる年。そしてまた巡ってくる春に、今度は隣にいてくれる妻と大和の桃の花を眺めることができる。そんな夢を抱いていたんだと思います。ちょうどこの歌ができた3日後に実父が亡くなりました。自宅のベッドで外の景色に目をやる父を前にアカペラで歌い春を届けたことができたことを思い出します。

 

♪♪♪♪♪ 明日香風

♪♪♪♪

万葉集 巻一 五一 志貴皇子

作曲・編曲 風香

ピアノアレンジ 風香

(2009)

 

飛鳥浄御原宮から藤原宮に遷都後、志貴皇子が詠んだ歌です。この句は今においても現代語訳が要らない程にひしひしとその光景が伝わってきます。万葉歌においても原文そのままで歌うことにしました。日本語の美しさを感じる志貴皇子の歌。かの有名な「石走る 垂水の上のさ蕨(わらび)の 萌え出づる春になりにけるかも」も詠み、目をつぶれば往時の景色がそのまま伝わってくるような美的センスのある志貴皇子は、素晴らしい感性の持ち主だったにちがいありません。

 

♪♪♪♪♪ 秋山の樹の下隠り

♪♪♪♪♪

万葉集巻二 九一 天智天皇 九二 鏡王女

現代語作詞作曲 風香

ピアノアレンジ  祐香

(2009)


舒明天皇の息子である天智天皇と額田王と姉妹であったといわれている鏡王女の歌です。あの山の頂上に君の家があったらいいのに、そうすれば毎日君のことをみていられるのになあ、と天皇が歌を贈ったのに対して鏡王女はこう答えます。「山は秋になると紅葉してそれは美しいのですが、私はそんな表面的なことでなく、その紅葉する山の樹の下を深く静かに流れる山清水のようにあなたが思っている以上にあなたのことを思っています。その山清水は私の心そのものなのです」と返しました。天皇のプライドを傷つけることなく、それでいて自分の心の内を歌を持って表現した鏡王女。彼女のつつましい人柄をも垣間みることのできる歌です。その鏡王女ですが、奈良県桜井市忍阪の通称「王家の谷」といわれているところでひっそりと眠っていらっしゃいます。忍阪街道の筋を折れると舒明天皇陵が宮内庁の管理でそれは綺麗に整備され、そこを少し登るとそこからは万葉の世界が広がっているのです。静かな空間の脇には小川のせせらぎが流れ、そこには万葉学者、犬養孝先生揮毫の万葉歌碑がまるで自然石のような形でその風土にぴったりと息づいています。皆さん、忍阪の地では鏡王女さまはもちろん、素晴らしい微笑みの石佛さまも石位寺で迎えてくれます。尚、この石佛さまは額田王の念持仏といわれていることから、この忍阪の地が鏡王女、そして妹であるといわれている額田王とゆかりのある地であることも感じて頂ける事でしょう。 

 

♪♪♪♪♪ 青幡の忍坂山

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万葉集 巻十三 三三三一

作者不詳

作曲・編曲 風香

(2009)

 

2009年の晩秋にはじめて万葉故地「忍阪」を訪ねることができました。そしてその翌月に再度忍阪を訪問する機会に恵まれた私は、日頃お世話になり地元にお住まいのTさんのお宅におじゃまし、そのリビングから忍坂山が眺められることを知りました。リビングからみえる忍坂山の山容。それは今でもはっきりと私の目に焼き付いています。日頃お世話になっている感謝の気持ちを込めて何か私にできることがないだろうかと考えていた私はこれだ!と思い作ったのがこの歌です。縦にも横にも広がるすばらしい山、青幡の忍坂山。この歌をTさんご夫妻にリビングで聞いて頂く夢がしばらくして叶いました。忍坂山の全景を捉えるには、近鉄大和朝倉駅で下車しそこから程近い忍阪古墳群から眺めるのが一番の絶景かと思っています。万葉集、そして日本書紀にも詠まれている景観を是非ご自身の目で確かめてみてください。そうした時にはじめてこの歌で歌われている忍坂山が心の景色となって広がっていくことでしょう。

 

♪♪♪♪♪ 寒からまくに

♪♪♪♪♪

  

万葉集 巻一 一一四 一一五 一一六 但馬皇女

    巻二 二〇三         穂積皇子

現代語作詞作曲 風香

(2010)


愛知から奈良へと車で向かうと、針ICを下り165号線に入ります。そこは初瀬街道です。そして桜井市内に入るやいなや吉隠のバス停を確認する事ができます。吉隠。この文字に何年とどれほどの想いを積み上げてきてだろうという位にずっとあこがれの地でした。想いを馳せる事数十年。そしてこの歌ができた年についに念願叶って奈良土のメンバーの方々とご一緒させて頂く事ができました。この日歩いてる途中、地元の方が畑の中から声をかけて下さったので、この想いを簡単にお伝えしたところ「よなばり」ってよく読めたわね。普通は読めないのよ。って。吉隠(よなばり)。この歌の作者但馬皇女がここに眠っているということが万葉集にも書かれているのですが、いまだもってその場所は確認されていません。この地を訪れた方は想像できると思いますが、それは素晴らしい万葉故地です。万葉集ではこの吉隠に猪養の岡(いかいのおか)という地名があったそう。それを想像するだけでもうそこには1300年前の景色が心の中で広がっていくんです。この歌が詠まれた季節は冬。いつか但馬皇女を偲び雪景色の広がる吉隠を訪ねてみようと思っています。尚、穂積皇子の歌には、「但馬皇女の薨じて後、穂積皇子、冬の日雪降るに、遥かに御墓を望みて、悲傷流涕して作らす歌一首」とあります。学者さんの中ではこの猪養の岡の選定について、飛鳥からはみえないとかいろんなご意見があるようですが、この遥かに、そして望みてという表現に注目すればそれはその方面を見て但馬皇女に想いを募らせた穂積皇子の姿がみえるような気がします。亡くなってから別れた男性に思われる。この穂積の句をもって、一途に想いを募らせながらも若くして亡くなった但馬皇女が救われたような気がしてなりません。女性であれば誰もがかくありたいものでしょう。 

 

♪♪♪♪♪ 嘆きの霧

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万葉集 巻十五 三五八〇 三五八一 三六一五 三六一六

        遣新羅使人の歌

作詞作曲    風香

ピアノアレンジ  祐香

(2010)

 

万葉集巻十五には、遣新羅使の歌が145首も歌われています。それらの中から4首を選び歌にしました。これらの歌は歌物語的な要素がしっかりと読み取れるところから、本来あった新羅使人の歌に大伴家持の手によってあとから付け加えられた歌群であるとも言われています。事実については編纂者でしかわからない訳ですが、いかにあろうともこの素晴らしい歌群の歌い人の名前すらわからないものでありながら、しっかりと現代人の心を捉えているということはまぎれもない事実なのです。大和で嘆く妻のため息がそのまま夫が旅行く先の風早の浦(現 広島県東広島市安芸津町風早)に立ち込める真っ白な霧となってたち込めている。これこそまさしく嘆きの霧なのです。このいにしえ人の感性に感動して歌を作りました。さて、2010年に万葉故地「風早」で行われた「安芸津フェスティバル」にて、日暮れと同時に行われる万葉集の「万の字焼き」を前に「嘆きの霧」を歌わせて頂きました。背後には風早の浦が、そしてステージ正面の保野山に浮かび上がるのは万の字焼きの火で象られた万葉集の万の字。ここは万葉故地「風早」。万葉学者の犬養孝先生も著書の中で書かれているように、机上だけでなく、歌が歌われたその風土の上に自らの足で立ち、その歌を声に出して歌ってこそ初めてその歌が生きてくるのです。そうすることで更にいにしえ人の心がぐっと近づいてくるように思えてなりません。皆さんも広島方面に行かれた折には、是非万葉故地「風早」で遣新羅使人の心を感じてきて下さい。

 

 

 



 

♪♪♪♪♪ 石位寺 伝薬師三尊石佛 イメージソング

♪♪♪♪♪ 祈り

♪♪♪♪

万葉集 巻二 一一二 額田王

作詞作曲 風香

編曲 小倉一起

(2011)

 

2010年の晩夏。万葉故地「忍阪」の魅力にとりつかれていた私は愛知の友人たちにもどうしてもこの風土を紹介したく、忍阪在住のTさんに案内役をお願いして忍阪街道を歩いていました。そこで地元のトップ、Mさまと思いがけないお出会いを頂き、石位寺の石佛さまのイメージソングを作らせて頂くご縁に恵まれたのです。今思えばこのご縁は、そこで1300年以上も祈り続けてみえる額田王と石佛さまが私と万葉故地「忍阪」結んで下さったのかもしれません。そうして出来上がった「祈り」の楽曲は、忍阪の人々の手により素晴らしい作品となって世に産み出されることになりました。DVDアルバムの中に収録されているこの作品は、石佛さまを、そして額田王の心を、更には今も大切に守り続けてみえる忍阪の人々の心を映像を通じて感じて頂けるものになっています。いつか是非、石位寺に足をお運び頂き、石佛さまをご自身の目でその御心(みこころ)を感じて頂ければ幸いです。

 

 

 

とこおとめは食を通じて(株)八葉水産さんを応援しています。